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「怠惰な多忙」から脱して、内省に取り組むことを提案してみます。

内省.com

「内省という行為」を真面目に、一緒に向き合ってみませんか?

内省.comというサイトを立ち上げました。

内省という行為を通じて、自分や周囲の人の生活が少しでも豊かになったら嬉しいなと思い、このサイトに関わる人たちなりのアウトプットをする場になればと考えてます。

内省とは、自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みることを指します。 私は豊かに幸せな人生を生きる上で内省という行為がとても重要な役割を担っていると考えています。 ですが、それを日々真面目に取り組むのはなかなかエネルギーがいるものでほとんどの方は時間をそこまでかけないのが実情でしょう。それより優先度高いものは多いですから。

ですが、あえて忙しく生きる現代の私たちが内省の時間をつくること。 その効果と価値はとてもあるのではないかと考えています。 真面目ったらしく向き合う以外の形であっても、内省という時間を少しでも、小さくても取り入れること。それが日々の生活を彩り豊かにしてくれる。私はそんな考えを持っています。

この記事では、このサイトを通じて「内省」について考えている自分なりの想いを簡単に紹介します。

内省する時間が貴重品になった現在

現在の世界はとても変化が激しいです。 求められるものの基準も高くなり、その変化についていくので精一杯。 忙しく今を生きていきながら、周囲の増えた「豊か」に見える多種多様なコンテンツを消費する日々。

新しい生き方や選択肢が増えて物質的に豊かになった一方で、精神的な豊かさはどんどん失われてきてしまっているのではと危機感を感じます。

世の中は様々な情報で溢れています。 そして、それらの情報は人を動かそうとする力学のもと作り出されたものが大半であり、無意識的にでも意識的にであっても受容することで勝手に「反応」させられてしまいます。

どんどん高度化し、情報を伝えるメディアが多様化し続けている今の時代では、反応させられる情報から逃れる方が難しい状況。

自分自身を強くもって、「空っぽになって自分自身と対話する時間」というものを意識的に作り出さないといけないくらい、情報に毒されてしまっているのです。

空っぽの状態で自分とゆっくり会話すること。 この時間がより貴重なものになってきているのです。

自分自身との対話ができないとどうなるのか?

それは、自分の内面の声にしたがって意思決定や未来を描くことができないことと等しい。 反応させてくる情報の波に流されながら、意思決定をしたり、選択をすることが多くなってしまうということです。

これほど、幸福や豊かさから遠くなることはありません。 そう断言できるのは、幸福や豊かさを定義できるのは自分自身だからです。

内省すること。 その時間を確保していくことに意識的に向き合うこと。 実はそれがとても重要なのではないか?と私は考えています。

各々の「自省録」を紡ぎ出すきっかけを目指していきたい

正直、内省という行為は面倒です。

自分の内面にあるモヤっとした感情やふわふわとした心の動きを言葉にしていく作業です。言葉にするという行為が結構エネルギーが取られるので避けられるなら避けたくなるでしょう。

どの世代も忙しく、空いている時間があったらそこに差し込みたくなるコンテンツや山ほどある時代。YouTube、Twitter/Line/TictokなどのSNS、NetflixやAmazon Primeなどの動画コンテンツ。 無限に消費できるものがあります。

その生活は怠惰な多忙といって良いでしょう。 否定するのは簡単ですが、そこから抜け出すのは容易ではありません。

そこから抜け出してゆっくりと時間のかかる読書をしたり、頭を使って想像したり、紙などに言葉を書き連ねたりしてアウトプットするエネルギー使う行為は避けたくなるのはしょうがないことです。簡単にはいかないことでしょう。

ですが、あえてそこに向き合うこと。 ちゃんと時間を使ってみようという一歩が自分を変化させてくれるきっかけになります。 取り組む内容としては誰でも簡単にできることです。 内省し自分自身をよく知り、豊かで幸せな生活を形作ることはみんな実現できます。

変化が激しい時代では、自分自身を指針として意思決定をできるようにすることの意味や意義はさらに高まってくるでしょう。 内省は羅針盤を形作る役割を担っています。

今からざっくり2,000年前。 ローマ帝国の絶頂期に第16代皇帝として君臨した方に、マルクス・アウレリウス・アントニウスという方がいます。

当時のローマ皇帝は、政治リーダであり、軍事リーダーでもあり、さらに宗教のリーダーでもありました。それだけ多忙で意思決定が多く責任範囲が大きい彼が書いた書物が「自省録」という書籍です。

己を振り返り、内省してきた記録で公に後悔するために書かれたものではないのですが、一つ一つの言葉に心動かされます。 言ってしまえばただの他人の日記であるこの書物が古典として、さらに哲学書として読まれてきたのには、ここに人間の本質があるからだと思います。

本質的なものは昔から変わりません。 私はその1つが、「内省」だと考えています。 アウレリウスのように、自省録をつむぐ行為に向き合うことで、今の現代をよりよく幸せに、豊かに生きることができるものだと信じています。

この内省.comでの発信がその1歩に、出会ってた人のきっかけになることを願ってこれから発信活動をしていきたいと考えています。