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無計画な4次元散歩

はらいちです。

内省というのは自分自身を省みることを言います。

特に最近は毎日投稿を目標として掲げていますので、毎日の内省とはつまり、毎日のふりかえりのような側面が強く存在します。

そのため、記事を書き始めるにあたって考えることとは、「そもそも今日何があったっけ?」と今日を省みる時間になるのです。

そうして「今日ってなにしたっけ?」と考えると、不思議なことに結構な割合で、ぱっと「今日何した」と全く浮かばない日ってのがで存在するんですよ。

例に漏れず今日もそのうちの1日なんですが、

んー…なんなんでしょうか。

1つとしては、特段印象に残るようなことをしなかった、というのは理由として挙げられるかと思いますが、

それだけでもないんです。

なぜなら、人に言われて「いやいや、今日これがあったじゃん!」というふうに言われて、そう言われてみれば今日は大層なことをしていたなぁという時が結構あります。

なんでしょうね。

なんか、過去を振り返ることを拒む感覚とでも言いましょうか。

いや、ただ単に、過去を省みることに慣れてないだけかもしれません。

ただ間違いないのは、今日なにをやったかということを全然これっぽっちも思い出せないということです。

急に話が飛ぶ気がしますが(僕の中では全く飛んでいない)、

こういう毎日書く、みたいな時にネタ切れにならないために、人によっては、

書きたいネタやそのプロットをあらかじめたくさん書き留めておいて、今日はこれを書こうなどという書き方をするのかもしれません。

でもなんかそういう方針は、僕の性分には合わない気がしているのです。

なんていうんでしょうか。

その時、その瞬間に思いついたことや、書きたいことというのを、そのまま文章にしたいという感覚…とでも言いましょうか。

今この瞬間沸々と煮えたぎる、血の通った熱量のある文章でないと、なんかあまり気が乗らないんですよね。

文章にオーラが纏わないというか。

人が書いている感じが出せないというか。

だって、文章って、普段の会話と比べたらめちゃくちゃ解像度が低いわけじゃないですか。

そもそも言語というツールを使っている時点で解像度が下がっているわけで(非言語によるコミュニケーションの解像度の凄まじき高さという意味において)、

さらに会話の中で感じられる「抑揚」「表情」「仕草」などが、こと文章においては完全に削ぎ落とされているわけです。

フリーダイヤルの機械的な自動音声や、YouTubeでよくある「ゆっくり音声」などに違和感を感じるように、文章というのはそれだけ無機質になりえてしまうツールだと思うのです。

だからこそ、今この瞬間の心から出てくる声というのそのまま届けたいのです。

文章というただのモノトーンのドットの羅列に、カラフルな感情を乗っけたいのです。

この文章を頭の中で響いた時に、僕の喋っている声を、それだけでなく、仕草や抑揚までも、そのままのライブ感をそっくり伝えたいのです。

でももしそんなふうに、思うままに文章を書いたとしたら、おそらく論理展開とか、全体的な構成とか、そういう部分はおろそかになるでしょう。

どこかで自家撞着に陥っているかもしれないし、普通に支離滅裂な文章になってしまう可能性は大いにあると思います。(とっても自覚している)

でも、僕は文章そのものの内容を届けたいというよりは、文章というツールを通じて、その裏にある機微みたいなものを伝えられたらいいなぁと思って、そんなふうに文章を書いています。

(だって、会話だと届く人の数には限界がありますが、文章だったら実質無限じゃないですか。とってもロマンがあります。)

要は、今この瞬間を大事にしている、ということなんだと思っています。

つまりは回り回って、過去や未来に思いを馳せる機会が少ない。

だから、今日あったことすらもぱっと思い出せない。

ほら、繋がったでしょう。全然話飛んでなかったでしょう?(僕の中では)

例えるなら、僕らは時間軸の現在にいて、マイナスに過去、プラスに未来があるようなものだと思うんですが、

どうも僕の中では、過去や未来がかなり「遠く」に感じるようなのです。

実際に表現としても「遠い昔」とか「最近」というように、時間軸なのに近い遠いという表現を使うわけですが、

(冷静に考えたら面白いですよね。100年前の日本だとしても、日本は日本で場所が移動したわけじゃないのに、時間軸とは全く別の遠近という別次元の尺度をもってきているという意味で)

僕にとっては、24時間前も、24時間後も、とっても遠いところにあるような気がするのです。

だから(という接続詞であっているか不明だけど)、僕は今日あったことすらぱっと思い出せないほどに、現在にフォーカスが合っているのだと思っています。

別にただ忘れっぽいとかそういう話ではなくて、過去がぼやけるのと同じく、未来も同じだけぼやけるのです。

純粋な感覚として、

「老後」とかいう果てしなく遠い未来に向けて貯蓄をする意味が「本当に」わからないし、

いわゆる生命保険などの保険商品にも微塵も惹かれないし(それはまた別の話か)、

それでいうと宿題も絶対に直前に一夜漬けでやっていましたし、健康診断も行かなければ、買い溜めもしなければ、短期的だとしても計画なんて絶対に立てられません。

さらに、思い立ってサッと引っ越しを決めちゃうかと思ったら、ぱっとウン十万払ってコミュニティに入ったり、かと思えば1週間ぶっ通し(1週間の合計睡眠時間20時間くらい)でゲームをし続けたりもします。

特にそこに打算や計算があるわけではなくて、

ただ単に、直感による判断によるものであることがほとんどです。

もちろん、合理的に考えたら意味がわからない行動をたくさんとっているのだろうと自分でも思っています。

まあ、中には理性的に考えて裏付けが取れたりしたら、ある程度未来を見据えたこともやったりはしますが、

でも基本的には、僕は時間概念が本当に薄く、今この瞬間に強く強くフォーカスがあっている。

僕は時々、これを「時間軸の視野が狭い」と表現します。

僕から見たら、健常な人は「シマウマ」のように、「広い視野を見渡せるが、目の前に焦点が合わず立体的にそこまで見えないような状態」に見えます。

逆に僕は、「ライオン」のように、「全く広くは見渡せない視野の狭さだが、目の前に焦点があっていて立体的に見える」という状態だと思っています。

どちらが優れているということはなくて、どちらにもいい面と悪い面があるわけですよね。

そんな風なことを、ずっと非言語領域で考えていたわけですが、こうして初めて文章に落とし込むことができました。

というか、この記事を書き始めたときは、こんな話の流れになるとは全く思っていませんでした。

一般的に、ブログ記事というと、もともと構成が決まっていて、結論も決まっており、その結論に向かって論理展開していくようなものじゃないですか。

でも、こういう僕みたいな向こう見ずな書き方をすると、

「自分でさえも思いもよらない終着点に到達する」可能性をはらむわけです。

これって書いている僕側としてもとっても面白いのですよ。すごいワクワクする。

終着点も見えずに、というか結論なんか決めずに、ただただ進みたい方向に進んで、成り行きを見守る。

そうすることで、書いている僕がそうなのだから、読者の皆さんもまるで迷路の中に迷い込んだかのような感覚に陥るのではないでしょうか。

理路整然と書かれた記事もそれはそれで素晴らしいとは思いますが、

例えるのならそれは、とても綺麗に舗装された道路を歩いているような感覚になります。

もちろん、それでも知らない道なのであればめちゃくちゃ刺激的で面白みはあります。

そういう本はむしろ大好きです。

でもでもやっぱり僕は、獣道がいい。舗装されてない未開拓の道が良い。

ただただ将来なんて考えずに好き勝手遊んでみて、転がった方向に進んでゆく。

周りからの悪影響はできるだけ受けずに、良い相乗効果だけ拾って、茂みの中を右か左かと悩みながら進んでいく。

いわばそういう、パイオニアみたいな生き方が僕が好きなんだと思います。

…。

なんか、人生大それたことをしないといけないのではないか…という幻想が僕にはありました。

緻密に計画を立てて、完璧な手順で、誰もが驚くようなプロジェクトを作らなければいけない、と。

だから漠然と、そんなちゃんとした立派な建造物を僕なんかに立てられるのだろうか…という不安がずっと小さい頃からありました(今でも多少あります)。

1から設計図を作って、木材をミリ単位で切断して、針の穴を通すような寸分違わぬ正確さで完璧に作り上げる、そんなこと僕にできるんだろうか…そんな風に、誰から言われたわけでもなくそう思い込んでいたのです。

でも、なんかそんな飛躍せずとも、

地に足ついて、見栄も張らず、冒険もしすぎず、ただ面白くて刺激に感じることをやり続けて、成り行きを見守る…そんな感じでも良いのかもしれないな。

いや、むしろそんな方が楽しいし、ワクワクするんじゃない…?というふうに最近思ってきました。

〇〇という理想になりたい、でもそんなふうに僕はなれるのか…?

そんなふうに、誰かの背中を追おう追おう…としてしまっていたのですが、

もしかしたらそんな必要性は、どこにもなかったのかもしれないなと、今考えています。

そうずっと思っていたということではなく、今この文章を紡いできて、今そう思えたなぁと、ただただ噛み締めています。

こういうような、間違いなく今この瞬間を生きていると自覚できる瞬間こそ、

僕は「生きているな」と感じます。

はらいち