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「忙しさ」の恐ろしさと乗り越えかたについて。

「忙しさ」とは、心を失うこと。忙しさに身を滅ぼされる現代人。

仕事内容は言えないのですが、月末月初が忙しい部署で私は勤め人をしています。 今週の月曜日はガツンとくる業務量で、大変エキサイティングな週のはじまりを迎えました。

週明け書こうと思っていたものが描けなかったので、今日2個書くことにしました。

私は社会人になってから約4年半が経ちました。大学2回目の卒業を迎えた感じですね。 学生バンド的にいうと、High Dになる世代です。

1,2年目を私は本当に苦労しまして、なかなか成果が出せずに右往左往。 時間をかけてできるようになろうと頑張っても空回り。

そしたらコロナ禍に入り、私の担当していた仕事は劇的な環境変化とさらなる忙殺の波により、疲弊していた私はぽきっと一回折れかけました。

2週間休みをもらってひたすらうちにこもり、ひたすら日記を書いたりゲームにのめりこみ、感情の揺れや自分の将来を徹底的に考えたらすっきりし、また社会人として復帰。

そんな経験が私にはあります。

今振り返って思うと、自意識によって自分自身でがんじがらめにしてしまっていたが故であると思っているのですが、「忙しさ」というものは本当に一歩間違えばみを滅ぼしかねない恐ろしいものだなと実感した経験でもあります。

忙しさにもいろんな種類があります。

単純な業務量での忙しさは一般的にイメージしやすいかと思いますが、それ以外で怖いのは自分の生きる速度や求められるものが自分のレベルに合っていない時の忙しさですね。

このギャップを乗り越えるのが成長のために重要なんだ! という熱い気持ちで立ち向かうならばまあよいですが、自覚せずこういう環境に入ってしまうと自分自身を責めることになり地獄をみることになる人もいるでしょう。

自分を責める状態はなかなか脱しにくく、自己肯定感も平行して下がるので悪循環のスパイラルが簡単に巻き起こされてしまいます。これを覆すのは本当に時間がかかります。

ちなみに私は、上記の経験で悪循環スパイラルのマイナスから0に戻し、今の前向きな自分になるまでには2年ほどかかりました。それほど厄介で時間がかかるものです。

私が乗り越えられたのは友人のおかげな部分が大半なので、これも運が絡んでくるとなると現代が鬱になる方が多い理由もわかるなあと思ってしまいます。

情報社会で無意識にずっと疲れている現代人は、この忙しさという魔物で殺されていっているといってもよいでしょう。私は自分が「忙しい状態」にいるということに自覚的になり、調整できるスキルがとても重要だと考えています。

今後の記事でそういう関連のものを書いていく予定ではありますが、この本質的な幹となる部分が「空白の時間を作り、内省に取り組むこと」であり、内省.comで私が発信している理由でもあります。

忙しさとは、心を失うことです。 生産性、価値創造という波の中でハードワークが求められる環境だけでなく、ルーティンワークで簡単そうな業務であっても人は心を失わさせられるのであれば、それは忙しいと考えています。

忙しい中でも自分を見失わないためにやれること。

忙しさを脱するには、空白の時間を作っていくしかないと考えています。 それは自分の好きなことをやる時だったり、絵画や文字、音楽などの製作物に取り組んでいる時だったり。外からの情報に触れず、内面の言葉を丁寧に書き出して整理することだったり。

最近サウナが流行っているのは、私はむりやりデジタルデトックスになった上で自分と向き合わざるをえない環境で、強制的に空白の時間を作れるからではないかと考えています。

無意識的に人は空白の時間を求めているのです。

私はある程度ストレスが溜まり、睡眠を適切にとっていてもなんだか心が回復しないなあという状況になったら、毎回旅行にいくようにしています。

移動すると心が動き、回復すると言うことが内省の結果わかっているので、それでどんなに忙しい状況であっても切り替えることができるようになりました。 これは私の方法論ですが、必ず自分を見失わず忙しさから脱する技はあります。

私は「散歩」を徹底的に楽しむという道が、そういうきっかけにならないかなと妄想をしています。手軽にできるこの行為が持っている可能性が結構無限大だなと思っており、いろんな楽しみ方・遊びかたを通じて、空白の時間を習慣的に作れたら、忙しい状態から適切に抜け出し続けられるのではと考えています。

これも徐々に発信していけたらと考えてます。

忙しさの自覚と、乗り越える胆力は内省によって培われる

忙しさに無自覚に溺れていきることは結構恐ろしいことです。 当事者だと、忙しく働いていてもある種のハイになっている状態だったりして、自覚することができず突然、限界がくるということもあります。私のチームメンバーも一生懸命頑張っていて前向きだったのですが、突然身体の限界がきて、長期休暇せざるを得ない状況になった方もいます。

忙しさの根本から逃げることも大事ですが、それ以上に私が大事だと思うのは自覚できることです。これは、自分自身の声を丁寧に整理し、内省することがその能力を磨いてくれるものだと考えています。

内省が習慣化し、自分の内面の声が適切に整理できている人間は強いです。 そとの環境に対して大きくぶれずに向き合うことができますし、困難な状態であってもぶれにくい胆力を持つことができます。

私の強みは内省を習慣的にやり続けてきたことだと考えてます。 それが人の役にたつ部分があるとすれば、こういった自覚することの手伝いや内省の習慣化、新しい遊びの提案から、内省のきっかけを提供することなどでは?と考えています。

いろんな要素を組み合わせて、関わる人が喜ばれるサービスがこの内省.comをきっかけに作れたら嬉しいなと考えています。