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腐敗、触媒、ヨーデル、内省。

こんにちは。はらいちです。

今日から、毎日何かしらの成果物を出すことになりました。さて、こんなネットの片隅の記事、見てくれる人はいるんでしょうかね。
もし見てくれている方がいたら、どうぞよろしくお願いいたします。

仮に誰も見てくれていないとしても、「誰かに見られているかもしれない」という状況なだけに、ただの落書き帳とは違う、読むあるいは見るに耐える成果物をちゃんと出さないといけないなと思わされるものです。

そういう意味では、間違いなく「全世界に公開されている」という客観的事実があるからこそ、世の成果物は成果物たらしめられているのかもしれないですね。

しかしまあ、日々をのんびりと過ごしていたら、自分の頭から文章を捻り出すという機会はめっきり減ってしまったなと感じます。

この世には、消極的娯楽とでも言いましょうか、テレビだのYouTubeだの映画だの、自分は全く何もしなくても消費できる、とてつもなく楽しい娯楽がありふれているじゃないですか。

そういう、全く頭の使わない手っ取り早く楽しめる娯楽に、ともすると簡単に流されて耽溺してしまうんですよね。

もしもう少し時間や精神的に余裕があれば、本を読んだり、考え事をしたり、それこそ何かしらの成果物を作ることも容易なのでしょうが、そんな余裕もないくらいに日々が忙しい。あるいは心が忙しい。

そうして、どんどん自分の頭で考える機会が減っていき、日々のタスクに押しつぶされ、どんどんバカになっていってしまうんだと思います。

こんなことを自分で言うのもどうかと思いますが、3,4年前はもうちょっと面白い文章が書けていたのです。

正直、ここまで書いていて、全然自分で面白いと思わない。つまらない。頭も回らなければ、スラスラと書き進められるわけでもない。

あーあ、こんなつまらない人間じゃなかったはずなのにな、となってしまいます。

こうして、過去の自分より明らかに劣化・腐敗している現実を自覚させられるのは、耐え難い屈辱を感じるものです。

僕はここ最近ずっと、こういう一般公開されるようなコンテンツを作成する際に筆がすこぶる重かったのですが、薄々気づいていたこの腐敗という現実を、まざまざと見せつけられるのが怖かったのだと思います。

でも、しょうがないですよね。腐ってしまったもんはしょうがない。
その厳然たる現実を、いつものように逃避してYouTubeを見漁ってしまったら、どんどん腐っていく一方なわけです。
腐った現実を受け入れて、「じゃあこれからどうするか」と考えなければ一歩踏み出せない。

そんなことをずーっと言語化できない領域でモヤモヤとフツフツと考え続けていた数年間だったわけですが、やっと、やっと、やっっっと、その思いをありのままに吐露することができる場所に、このサイトがなるんじゃないかと、そんな気がしています。

人間というのは、なぜこうも弱いのでしょうね。

僕はずっと、この現状をどうにかしよう、何かきっかけを作ろう、何か少しでも行動を起こそう…そんなことを一人で思い続けていました。

そしてただただ空想上で思い続け、気づいたら途方もない時間があっという間に経過してしまっているのです。

だから、1人だけだったら、ふとした拍子にこんな記事なんて書こうとは思わなかったはずです。
でも今こうして、僕はこの記事を書いて、全世界に公開することができている…。

そう、この内省.comというサイトは、僕が1人で立ち上げたサイトではありません。
とても気の合う仲間と一緒に、お互い高め合うようなきっかけになればいいねという思いで始まったサイトなんです。

一人では意志が継続せず頑張れないけれども、同じようなモヤモヤを抱えた仲間同士で、鼓舞しあって、背中を押し合って、お互いムチを打ち合って、自分が本当にやりたいと思っていたこと(少し変な表現をすると、「魂レベルでずっとやりたかった何か」)をやろうじゃないか。

そんな指針で、このサイトは誕生しました。

だから、別に誰にも見られなかろうと無意味ということはなくて、このサイトが僕らの日々のアウトプットのための良い触媒になってくれれば、それで良いのです。

ここで積み上げた資産が、回り回って時空を超えて思いがけないところで繋がったりするかもしれない。

そんな人生の種をたくさん蒔く畑になればいいなぁなんて、そんなことを思っています。

まあそんな綺麗事は置いておいて、端的にいうとバカになってしまった僕の頭のリハビリをちょっとずつできればいいなぁなんて、とりあえずはそんなことを思っております。

日々の気づきだったり、何か感情が動いたことがあったり、そんな瞬間があったら、今後こうしてコンテンツにしていこうかなと思っています。

今日は何かあったかなぁ、どんな体験をしたかなぁと考えてたら、そういえば昼過ぎに、ふとヨーデルが聴きたくなってYouTubeで調べて聞いてたなぁというのを思い出しました。

なんか日記みたいになりますが、でもちゃんと内省と繋がっている(気がする)ので我慢してくださいね。

で、YouTubeで探していたら、小学生くらいの女の子がめちゃくちゃ上手いヨーデルを歌っている動画から始まり、日本のアイドルが結構うまいヨーデルを歌っている動画を見たり、はたまた自分でもできないかなと地声と裏声を綺麗に切り替える練習をしてたり…

そんなこんなしてYouTubeの海をさまよっていたら辿り着いたのが、ゲーム『太鼓の達人』に収録されている「よくでる2000」という楽曲でした。

僕は高校時代、勉強よりも部活よりも何に時間とお金を費やしたかというと紛れもなく「太鼓の達人」と即答するほどだったのですが、この曲は「ヨーデル」を題材として作られた楽曲な訳です(珍しいね)。

ああそういえばそうだったなぁ、と思いつつ改めて歌詞を見ていると…なんともまあ変な方向から僕の心を抉ってきたのです。
ちょっと引用してみます。

できるだけ働いて
休みはちょっと旅行
そこそこだけど幸せ
素敵なボクら

ヨーロレイヒーでレーリレイホー
エイサホラ エイヤコラ レ・リ・ルレ ラ・リ・ルレ
ヨーロレイヒーでレーリレイホー
エイサホラ エイヤコラ ラ・リ・ルレ エイヨッ!

(中略)

徹夜までしてみても
お給金は上がらず
とことんまで搾取され
ミジメなボクら

ヨーロレイヒーでレーリレイホー
エイサホラ エイヤコラ レ・リ・ルレ ラ・リ・ルレ
ヨーロレイヒーでレーリレイホー
エイサホラ エイヤコラ ラ・リ・ルレ エイヨッ!

『太鼓の達人』収録楽曲 ナムコオリジナルより「よくでる2000」から引用

ふーん。

私のことですか?

日々仕事に追われ、束の間の休息があったかと思えば、頭の悪い娯楽に時間を奪われるだけの私のことを歌っているんですか?あ?

ヨーロレイヒーでレーリレイホーじゃないのよ?おん?

…………。

…そんな日々から脱出すべく、こうしてやっと、小さな小さな一歩を踏み出しましたよ。

どうにか、社会に飲み込まれずに、少しずつでも自立した人生を生きること。
これは、せっかく人間として生まれたからには果たさないと勿体無いほどの権利だなと思います。

そして、そのために必要なのが、内省。自分自身の内面を問うこと。
又聞きのような表面上の言葉ではなく、正真正銘、自分自身のハラの中から出る本音を引き出すことなんじゃないかと思っています。

???「おい、そこそこな人生を生きているお前、この曲をふざけた曲だと嘲笑いながら聴けるんか?おん?」

P.S.

なんか、こうしてアウトプットをしようと決めて生活すると、結構日常の見え方変わりますよね。

専門的にはカラーバスと言うらしいですが(なんでそういうのかは知らない)、これコンテンツのネタになるかなぁとか、何気ない事柄でもここから何か気づきは得られるかなぁとか考えるのでとっても面白いです。

多分、芸人さんとかって、どんな些細な出来事も面白いエピソードトークにならないかなぁって視点で生活しているんでしょうね。
「ああ今週のオールナイトニッポンで話すエピソードトーク考えなきゃ」という適度なストレスがあるからこそ、日々をそういう目線で見ることができるんでしょうね。

そう考えると僕らがやっていることって芸人さんと同じことなのかもしれません。どんな平凡な日々でも、どこかにネタがあると信じて、ネタあつめしていきまーす。よろれいひー。

(PPS.サムネイルが座薬なのは、人生にとっての内省は、便秘にとっての座薬だなぁ…。と思ってそこからタイトル考えようとしたんですが、なんかピンと来る表現ができなかったのでサムネにだけ痕跡を残しました)